Media × Tech

「Media × Tech」ブログはスマートニュースのメディア担当チームが運営するブログです。テクノロジーを活用した次世代のメディアとはどういうものか? そうしたメディアをどうやって創り出していくのか、を考えていきます。

書評:ネット時代を生きる「情報の受け手と送り手」双方の必読書——坂本 旬、山脇岳志『メディアリテラシー 吟味思考(クリティカルシンキング)を育む』

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コロナ禍が始まり、高齢の母親から時おり、おかしな情報が届くようになった。後に同院から「チェーンメールだから拡散しないで欲しい」とアナウンスされることとなる「○×病院が医療崩壊しているらしい」も、その一つだ。
正直、「まさか自分の親に限って」と、最初は少なからぬショックを受けた。インテリとまで言わないが、オレオレ詐欺は幾度も撃退、新聞や報道番組も十分にチェックし、文化芸術分野では他が驚くような視座も披露する「あの母が」と。

しかし、話を聞くうちに、鵜呑みにしがちとなる条件が徐々に見えてきた。主には「(お友だちの)XXさんから送られてきたんだけど」という情報提供者への信頼と「ネットに書いてあったんだけど」というWeb媒体への過度の信頼だ。

コロナ禍の“巣ごもり”を契機にようやく本格的にスマホやネットを使い始めた母(や、同世代の友人)にとって、検索窓を叩いて手に入れる情報は、どうやら図書館のDBでレファレンスしたものに近い。さすがに明らかにおかしな内容やえげつない広告表示がされるようなものは弾いても、もっともらしい媒体名やプロフィールが被されたもの、ましてや知人から転送されてくるものまで慎重に見るという基本動作は、ほとんど身についていない。
しかも「ネットに出ていた」と話す母の口調には、奇妙な誇りすら漂う。「同じ年代でもXXさんは使いこなせていないスマホを自分は使いこなしている」という(ザンネンな)自負が、そこで得る情報の価値を高めてしまっていることは想像に難くない。

異なる“メディア”理解 活字世代とネットネイティブ

我が親の挙動から改めて気付かされるのは、ひと口に“メディア”と言っても、その種類は今やあまりに多彩で、しかも、その受け止め方もあまりに多彩であるという事実だ。

メディアと言えば、幾重にも校正・校閲が施される印刷媒体や、数社に限りライセンス付与された電波放送であった時代を長く生きた親世代からしたら、ネット上の情報であっても「(発信元をチラ見して)プロが公開するものならさすがに嘘はないだろうからシェアする」かもしれないし、物心ついたときからネットネイティブで、自らもTwitterやTikTokであれやこれやの情報発信をしている若手世代からしたら、「そもそも玉石混淆なのは皆もわかってるから(発信元や発信者すら気にせず)面白ければシェアしちゃう」かもしれない。

無論こうした温度差は世代間に限らず、「先日のあれは良い取材記事だった」と出版社ではなくプラットフォーマーを褒める投稿や、自身の閲覧傾向に添ってレコメンドされたタイムラインを「くだらない情報ばかり流れてくる」と腐す投稿など、テクノロジーの進化に伴い高度化した情報流通の構造に対し、その理解度が人によってあまりに異なることは私自身も日々、目にし、感じるところだ。

翻って、情報流通の末席にいる身として思うのは、いまや私たちは自らのユーザーの“情報リテラシー”に留まらず、“メディアリテラシー”のありようにも真摯に向き合い、サービスに反映していかなければならないという責任の重さ、だ。

理論から実践的な教育法、米国の動向まで網羅

前置きが長くなった。

今回、紹介する書籍『メディアリテラシー 吟味思考(クリティカルシンキング)を育む』は、まさにそうしたリテラシー差の出現に正面から向き合い、情報の受け手と送り手の双方が今この瞬間に置かれたメディア環境と課題を複層的に理解し、さらには課題解決の一端となる具体策まで網羅的に示すことを目指した意欲的な総覧となっている。

具体的には、理論編としてメディアリテラシーの定義や、メディアの環境変化と課題、リテラシー教育の枠組みを扱う「第1部 メディアの激変とメディアリテラシーの潮流」。実践編として情報の送り手側、つまりメディア業界からの取り組み例と続く「第2部 ジャーナリストの視点と実践」。情報の受け手側、特に学校教育の現場におけるリテラシー普及の取り組み例がふんだんに並ぶ「第3部 教育現場での実践」。そして、各ステークホルダーの座談会という形の最終「第4部 メディアリテラシー教育の現在地と未来」で構成されている。

400ページ近い分厚さの中に、しかも各ページみっちりと総勢30名を超える識者の知見が詰め込まれ、正直、全部を一気に読み込むのには、それなりの気力を要求される。

そこでおすすめは、まず気になる部分からのつまみ食い。たとえばメディア環境の変化を理解したい方は第1部第1章「激変するメディア」や第2章「若年層のSNS利用とコミュニケーション特性」、日本の少し先の未来を見通したいという方は第1部第8章のルネ・ホッブス氏論考や第2部第14-15章の米国NLP(ニュース・リテラシー・プロジェクト)の概観といった具合だ。

民主主義を支えるメディアリテラシー

個人的に膝を打ったのは、第1部第3章、(本書の編著者の一人)法政大学教授・坂本旬氏の「メディアリテラシーの本質とは何か」から、第1部第9章、京都大学大学院教授・楠見孝氏の「批判的思考とメディアリテラシー」、第2部第16章、(同・編著者の一人)スマートニュース メディア研究所・研究主幹・山脇岳志氏の「虚実のあいまいさとメディアリテラシー」にいたる一連の議論。

このあたりを実際にお読みいただくと、私がここまで“メディアリテラシー”という言葉をあまりに漠然と使ってきたとまず指摘されることと思う。

それ以上に「メディアリテラシーの本質は、メディアのメッセージが無意識のイデオロギーによって構成されていること、それは個人の意図という表面的な理解を超えたものであること」(坂本旬氏、P.81)、つまり、情報の受け手には単に情報の真偽判定を超えた高度な理解や分析(クリティカルシンキング)を要求し、情報の送り手には高いディシプリン(修練)を問うものであること、そして双方が良く機能することが人の熟慮を促し、民主的な議論、行動の基盤になるというメディアリテラシー普及の大義が理解されてくる。

そのうえで、第9章で示される「批判的思考」(クリティカルシンキング)と「直観的思考」は、それぞれ「システム2」「システム1」という言葉に言い換えられ、第16章の、ネット時代ならではの(システム1をより刺激する)「アテンション・エコノミー」に対し、情報の受け手、送り手双方が、いかに抑制的になり、システム2的な思考や社会を支えていくべきかという提言に結びつく。

読み込むほどに奥深い議論で、文字数に限りあるなかでは、なかなか伝え切れぬ部分も多く、是非、詳細は本書でお読みいただければと思う。

最後に上述・山脇氏が私の職場の先輩であることを白状しておきたい。
それゆえ、どう抑えて書いても身びいき的になってしまうのだが、なぜ彼が、50歳を過ぎてからの転職を決意し、リテラシー教育に熱意を注いでいるのか。本書を通じてそこを理解できたのも嬉しい産物だった。ちなみに山脇を含め、弊研究所で実施しているリテラシー授業の実践例は以下リンク先にも掲載している。ゲーム形式のコンテンツなどもあるので、よろしければ参照されたい。

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著者紹介

加藤小也香(かとう・さやか):スマートニュース メディア研究所 プロジェクトマネージャ。日経BP社記者、グロービス広報室長、出版局編集長、trippiece執行役員を経て、2019年1月にスマートニュース入社。子会社スローニュースの立ち上げを経て現職。慶應義塾大学環境情報学部、グロービス経営大学院大学卒(経営学修士)。

本記事は筆者と編集部の独自の取材に基づく内容です。スマートニュースの公式見解ではありません。