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書評:「グラフの父」の栄光と挫折 ——『データ視覚化の人類史』

「データは21世紀の石油である」と言われて久しく経ちます。いまや私たちはデータに囲まれて生きているといっても過言ではありませんが、実際に接しているのはデータ=数値やテキストそのものではなく、グラフや地図といったグラフィック表現です。

今日の気温、株価、内閣支持率、新型コロナの感染者数……。数字のままではわかりにくいデータを見やすくグラフィック表現に変換して、人の理解を助けることをデータ視覚化ないしはデータ可視化(Data Visualization)と呼びます。現代社会ではデータ視覚化を目にしない日の方が少ないでしょう。

データ視覚化は比較的新しい試みと思われることが多いですが、その源流をたどると数百年以上前まで遡る必要があります。現代において経済、報道、ビジネスなどあらゆる場面で使われるデータ視覚化を発案したのは誰か。データ視覚化を私たちはどのように扱い、どんな知見を得てきたのか。コンピューターグラフィックスの技術発展は、データ視覚化にどのような影響を与えたのか。そんな疑問に答える書籍が、ヨーク大学教授マイケル・フレンドリーと統計コラムニストのハワード・ウェイナーによる『データ視覚化の人類史——グラフの発明から時間と空間の可視化まで』(青土社、2021年)です。

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本書では、世界最初の統計グラフとされる1644年のグラフから現代に至るまでのデータ視覚化の歴史が網羅されています。統計学者としても知られたフローレンス・ナイチンゲール、コレラの感染発生地を地図に表現したジョン・スノウなど、近代の歴史的傑作とされるインフォグラフィックが数多く生まれた1800年代の黄金期や、表現手法の進化が停滞した暗黒期を経て、3Dグラフィックスやアニメーションといった技術が発展した現代につながる過程を解説します。

「グラフ手法の父」ウィリアム・プレイフェア

さて、本書に登場するデータ視覚化の事例やエピソードは多岐にわたりますが、最も重要な人物をひとりだけ挙げるとすれば、本書でも「近代データグラフィックスの父」「グラフ手法の父」と表現されるウィリアム・プレイフェアでしょう。

プレイフェアは後に数学者となるジョン、建築家となるジェームズを兄に持ち、1759年にスコットランドで生まれました。牧師であった父が早くに亡くなり、ウィリアムは長兄ジョンの教育を受けて育ちました。ジョンは後にエディンバラ大学の自然哲学の教授となりますが、ここでウィリアムは兄の薫陶を受け、観察結果を視覚表現に置き換えることを学びました。その後、蒸気機関を実用化したことで知られるジェームズ・ワットの製図工兼助手などを経て作家活動に転じ、1785年に『商業および政治のアトラス』を出版します。

目は比率を判断するには最適であり、他のどんな器官よりもすばやく正確にそれを見積もることができる。……この表現モードは、ともすると抽象的で関連性がないように見える多くの異なる考えに形式とかたちを与えることにより、シンプルで正確かつ永久的な概念を生じさせる。(『アトラス』1801(引用者注:第三版), p.141にて引用)

プレイフェアの最大の功績は、この『アトラス』や1801年の『統計簡要』などにおいて、棒グラフ、折れ線グラフ、円グラフといった視覚化表現を発案するとともに、データ視覚化にまつわる様々な要素や表現方法を現代でも通用する形に定式化したことです。

プレイフェアは、そのグラフ作品を通じて、現在公表されているデータグラフィックスの標準的慣習とされる、データ図表のグラフィック言語のいくつかの要素を発展させた人物とみなすことができるだろう。(p.144)

以下は『アトラス』に本書の著者がラベルを付したものです。グラフの上部に位置するタイトル、縦横の軸に描かれるラベル、グリッド線(比較を容易にするために視覚的補助として縦横に描かれる薄い線)など、現代の私たちにも理解しやすい形に整理されていることがわかります。

 

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(p.145)

厳密に言うと、棒グラフや折れ線グラフはプレイフェアが歴史上初めてというわけではありません。たとえば『アトラス』出版の約30年前にあたる1754年には、フィリップ・ビュアシュとギヨーム・ド・リルが35年間にわたるセーヌ川の水位を棒グラフで表現しています。

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(p.166)

 

プレイフェアの功績はむしろ、上記に挙げたような各種の要素を用いて、広く社会におけるグラフ表現を実用化したことにあります。現代の言葉を用いれば、データ視覚化の「社会実装」を行なったのがプレイフェアであると表現できます。

こうした視覚的慣習のすべてが斬新というわけではなかったが、プレイフェアの偉大な功績は、これらすべての要素を結集し、その表示と、それが見る者に伝える情報の両方を豊かなものにしたことだろう。ここで彼は、物語の文脈で、定量的事実を伝達するために設計された近代グラフの本質的概念をつくりだしたのである。(p.146-p.147)

『アトラス』は出版の翌年に当時のフランス国王ルイ16世にも献上されました。またスコットランドの歴史学者ギルバート・スチュアート博士は『アトラス』の書評において「これこそ新しい、他と異なる、平易なやり方で、政治家や商人に情報を伝える方法である(42ページ)」とプレイフェアを絶賛しています。

 

データ視覚化への批判と不幸な晩年

しかし、プレイフェアが広めたデータ視覚化の手法は、決して万人から高く評価されていたわけではないようです。

プレイフェアの洗練されたグラフのイノベーションは、しばしば無視されるか、ときには評判を傷つけられた。たとえばイングランドの国債に関するグラフは、「単なる想像上の遊び」と批判された。(p.174)

プレイフェアが師事したジェームズ・ワットも「グラフ表現は正確さに欠ける」「表に示されるデータほど信頼されるものには見えない(p.142-p.143)」とプレイフェアを批判しています。

「歴史は繰り返す」と言われるように、現代でもデータ視覚化の試みはしばしば批判に晒されます。ワットが指摘するような正確性、あるいは(意図の有無にかかわらず)誇張した表現など、論点は様々です。

誇張をせず可能な限り正確な理解を提供することは当然として、データ視覚化が社会にもたらす価値は欠点を補ってあまりあると筆者は考えています。現代社会にデータ視覚化があふれていることがその傍証ですが、プレイフェア自身はその意義についてこう述べています。

(訳者注:グラフを使った)表示モードの長所は、情報の獲得を容易にし、記憶がそれを保持するのを補うことである。……目は、それに対して表現され得るあらゆるものの最も生き生きとした、最も正確な概念を与える。異なる数量間の比率が対象となるとき、目は予測もできないほどの優位性をもつ。(『統計簡要』1801, p.14、p.141にて引用)

プレイフェアは作家や会計士、イギリス政府の諜報員などいくつものユニークな職業を経て、1823年に64歳でこの世を去りました。後年には債務のために拘禁されるなど、経済状態は芳しくなかったようです。

書籍や論説が彼を裕福にすることもなく、家賃の足しにもならなかった。晩年は、特に借金と健康の悪化と闘っていたという。(p.175)

それでもデータ視覚化に関するプレイフェアの業績は後の政治経済学者や統計学者などによって受け継がれ、今日に至っています。

本書ではプレイフェアの他にもデータ視覚化に関する数多くの試みや歴史的な転換点が記録されています。私たちが生きるデータ社会において、本書は今後ますます重要になっていくであろうデータ活用やデータ・リテラシーに関する知見を深めてくれるでしょう。


著者紹介

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荻原 和樹(おぎわら・かずき)
スマートニュース メディア研究所 シニア アソシエイト
前職では東洋経済オンライン編集部などに所属し、データ可視化を活用した報道コンテンツの開発、デザイン、記事執筆を行う。2021年スマートニュースに入社。メディア研究所ではデータ可視化やデータ報道に関する情報発信、アドバイザリーなどを行う。

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