Media × Tech

「Media × Tech」ブログはスマートニュースのメディア担当チームが運営するブログです。テクノロジーを活用した次世代のメディアとはどういうものか? そうしたメディアをどうやって創り出していくのか、を考えていきます。

書評:「空想のインターネット」に対する追悼文——『デジタルエコノミーの罠』

2020年6月、オーストラリア政府がGoogleとFacebookの2社に対して報道機関への使用料支払いを義務づける「メディア取引法」の整備に乗り出したことが報じられた。背景にあるのは、オーストラリアのインターネットの広告費のうち71%がその2社に流れ込んでいるという寡占状況(参照:「豪、記事ネット転載に使用料義務化へ グーグルなど対象: 日本経済新聞」)。どの国でもネット広告費が独占の方向に進んでいるという危機感から、多くのメディア関係者がその争いの行方に注目してきた。

今年(21年)1月、Googleがオーストラリアでの検索サービスの提供停止をほのめかし、その対決姿勢が示されたのと同様のタイミングで、ネットメディア関係者の間で話題になった本がある。『デジタルエコノミーの罠』(マシュー・ハインドマン著)である。
筆者は本書を友人に薦められ1月14日に読んだ。その後、23日の日経新聞に書評が載って話題が広がると、27日には高須正和氏主催のオンライン読書会が開催され、訳者・山形浩生氏とデイリーポータルZの林雄二氏が登壇したイベントは150名以上の参加者を集めて大いに盛り上がった。筆者もそこで耳を傾けていたひとりであり、イベントをきっかけに多くの人々と意見を交わし合った。

なぜ惹きつけられるのか?

『デジタルエコノミーの罠』がこのようにして関係者を惹きつけるのはなぜなのか。著者の言葉を借りて表現すれば、本書が「空想のインターネット」に対する「追悼文」であり「死亡診断書」であるからだ。分散していて、平等で、民主的。そのような理想化されたインターネットはすでに失われてしまったのだということが嫌というほど突きつけられる。
かつてクリス・アンダーソン氏とマイケル・ウォルフ氏が「The Web Is Dead. Long Live the Internet | WIRED」(Wired, 2010)と言ったときには、それに対する威勢のいい反論が数多く表明されたが、今回は「そんなことを言われなくても、とっくにわかっていたさ」と嘯(うそぶ)くのが精一杯で、動揺を隠しながら曖昧な笑顔を浮かべて嘆息するくらいが大方の反応だったのではないだろうか。にも関わらず、読後この本を誰かに薦めずにはいられなくなる。インターネット愛好家たちを打ちのめしてしまう事実やエピソードの強さが、この本の魅力というわけだ。

本書の中身を簡単に紹介する。一、ネットの情報流通は無料ではなく、製造や印刷の世界と同じように資本がモノを言う。二、ネットのブランド構築には表示の速度と操作の快適さが何よりも大事で、そこを改善できる人材を集められないことには勝負の土俵にさえ上がれない。三、レコメンデーションの技術で競うのさえ難しいのに、勝負が決まるのはデータ量でありそれに至っては競う余地がほとんどない。まだまだある。「じゃあ一体どうしたらいいのさ」と嘆きたくなる話ばかりだ。そのうえ、サブスクや動画に挑戦しても先が約束されているわけでないぞと釘が刺される。これはまるでネットメディア版の『ファクトフルネス』である。ただし本家と違って、ネガティブな材料ばかり見つかるところに違いがある。

反証も見いだせるはず

安易な処方箋を与えてくれることのない本書だが、空想のインターネットではなく現実のインターネットを正しく見ようとする姿勢を学べるところに価値がある。誤った観測の上には正しい戦略など描きようがないわけで、まずなにを差し置いても正しい観測あるのみ、ということになる。
その姿勢を本書自体に用いてみると、ここで語られている事実やエピソードの主要なところが、ウェブの時代の、アメリカにおける、ローカルメディアの事例に依拠していることがわかる。この条件を変えながら再び観測してみるとどうだろうか。アプリの時代の、東アジアにおける、ニッチメディアの事例、というように。するとそこに、大筋の結論は変わらないにしても、部分的な反証となる事例が見つけられる。

たとえば、中国からはレコメンデーションシステムに大きく投資したコンテンツプラットフォームが誕生し市場を席巻し、韓国から生まれた漫画や小説の投稿プラットフォームがアメリカ・ヨーロッパでもユーザーを集めている。また、日本のニッチメディアに目を向ければ、ECからはじめた小売事業者がメディア機能を発達させ、その独創的な展開によって年間数十億円の事業を作り上げている。独占や寡占に向かうとされるインターネットのなかで、その一角を突き崩したり、独自のスペースを作り出すことに成功した例は他にもまだいくつも見つけられるはずだ。
現実のインターネットに向き合って、自分の目で見、自分の頭で考える。それは簡単なことではないが、それは考えてみれば実に当たり前の話ではある。それはたとえば、中国市場の立場になって考えてみるとよくわかる。空想のインターネットが死んだ? それで? という感想しか出てこないだろう。90年代末に急速にネット市場が立ち上がった彼の国には初めから現実のインターネットしかなく、その前提のなかで厳しい競争が行われているのだから。

シリコンバレー史観からの覚醒へ

そうしてみると本書は、空想のインターネットのみならず、シリコンバレー中心史観の夢から覚めるのによいきっかけとなるレッドピルだとも言える。夢を見続けるか、夢から覚めるか。目が覚めて巨大プラットフォームだけが悪物だというオチなら話は簡単かもしれないが、そうではない。私たち自身がバカで暇人であるために、世界は仕方なくこうなってしまっているということに気づく。いまや中年となったインターネットは、我が身を写す鏡である。不健康な体を見つめるのは不愉快な気もするが、それに気づくことからしか始まらないのだ。しかし、そこで何かが見つかるとすれば、それは偽りのない希望になり得る。本書を読んで筆者はそんな気にさせられた。

こんなことを書きつけているうちに、オーストラリアのセブンウエスト・メディア社が大手メディアとしては初めてGoogle News Showcaseの取引に応じた。契約金は年間3,000万ドルとも報じられている。オーストラリア政府と巨大プラットフォームをめぐる「メディア取引法」の話は完全には解決していないが、メディア側の態度の軟化によって、結論は穏やかな方向に向かっていくとの見方が強まっている。
しかしこれは、メディア側の交渉によるしたたかな勝利だったのか、それとも、Googleがまたしても“デジタルエコノミーの罠”を味方につけた結果なのか? 本書を読んでこの問題を考えてみてはいかがだろうか。

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デジタルエコノミーの罠 なぜ不平等が生まれ、メディアは衰亡するのか|書籍出版|NTT出版

マシュー・ハインドマン (著)
山形浩生 (訳)

 

著者紹介:
流寓院ケイ(るぐういん けい):東京のインターネット系スタートアップに勤務。サービス開発を主導する立場。仕事としても、個人的にもメディアおよびメディア関係者と多くの接点をもつ。

本記事は筆者と編集部の独自の取材に基づく内容です。スマートニュースの公式見解ではありません。