Media × Tech

「Media × Tech」ブログはスマートニュースのメディア担当チームが運営するブログです。テクノロジーを活用した次世代のメディアとはどういうものか? そうしたメディアをどうやって創り出していくのか、を考えていきます。

コンテンツという「王」の帰還——書評:『音楽が未来を連れてくる』

「Content is King」という言葉があまりに使い勝手が良いので、私たちは現在その変奏のほうをよく耳にする。「Content is King but Engagement is Queen」だとか「Container is King」だとか「Context is King」などなど。どれももっともらしく聞こえるが、その本来の意味を確認しようとすると、SEOの専門家たちが「大事なのは内容である」と解説しているのをよく目にすることになる。でも、果たしてそんな意味だったんだろうか?

ゲイツ氏の予言

ビル・ゲイツ氏が1996年に書いた起源的なエッセイにあたってみると、まずそれがビジネスモデルの話であることがわかる(参照)。曰く、コンテンツはインターネットによって広まり、やがて世界を席巻する。しかし、広告や課金といったビジネスモデルが未成熟なため、コンテンツの提供者は短期的には苦戦するだろう。と、このように未来を予見した。そして同時に、長期的な成功をおさめるのはコンテンツの提供者であると予言した。
新たな技術が既存のビジネスモデルを破壊してしまう前夜に、ゲイツ氏は「なぜならコンテンツが王様なのだから」とその正統性を主張することでコンテンツの提供者を激励しようとしたのである。コンテンツが短期的にはその玉座から追われることがわかっていたからこそ、人々がそれを見失ってしまわないように「Content is King」と訴えねばならなかったのだ。

ところで、榎本幹朗氏の『音楽が未来を連れてくる』(2021)である。

本書は、「イノベーションのジレンマ」(クレイトン・クリステンセン, 1997)理論を証明する実例を音楽業界のなかから探し出すことを通じて、「イノベーションのジレンマは克服できるのか。時代遅れになった企業は復活できるのか」をテーマに論じる。時間的なスケールは過去100年。その間の黄金時代として挙げられるのは1920年代、60年代、90年代。それら黄金時代の間には、実に数十年にも渡る不況が横たわっている。その克服と復活のドラマが実におもしろい。なぜか。それらのエピソードが、現代を生きる私たちにとってとても見覚えのあるような話だからだ。

「破壊」と「復活」の物語

お話は、お馴染みのグーテンベルグからはじまる。

かつて音楽ビジネスには、ライヴ売上しか存在しなかった。潮目が変わったのは、15世紀にグーテンベルグが印刷技術を発明し、18世紀に著作権法が整備され始めてからだ。出版産業が成立するようになると、作詞・作曲家が書いた楽譜のコピーを独占的に売る音楽出版ビジネスが始まった。そして19世紀末に、エジソンが楽譜をレコードに変えたことで、音楽産業へ発展した。

1920年代に訪れた、レコードによる最初の黄金時代。それを終わらせたのはラジオだった。

1930年代。無料音楽がキラーコンテンツとなって、家電産業が勃興した。無料で音楽が聴き放題という人類初の全国的なフリー・メディアを実現したラジオは、インターネットを超える速度で普及。空から降り注ぐ音楽、そのバリューを身に纏ったハードウェアは光り輝いた。その陰で、ソフトウェアの音楽産業は壊滅状態に陥った。

そして1960年代。夜明けは、新たなデバイス、新たな世代、新たな音楽とともにやってきた。

Sonyのポケットラジオに飛びついたのはティーンたちだ。彼らはずっと、じぶんだけのラジオが欲しくてたまらなかった。ひとりで、どうしても聴きたい音楽があった。ロックンロールだ。だが、居間にどっしり構える真空管ラジオでは、ロックンロールは聴きたくても聴けなかった。親が嫌ったからである。Sonyのトランジスタ・ラジオは、ロックンロールを聴きたいティーンたちにとって、救世主のような製品だったのだ。

だがそれも凋落を迎える。しかしその後に再び黄金時代が繰り返されることを、私たちはリアルタイムに知っている。

原油価格高騰、世界的物価高と先進国の就職難。音楽からのメガ・トレンド消滅。音楽メディアのマンネリ化、音楽ファン層の加齢と卒業。ゲームほかのエンタメ産業の躍進、若者の音楽離れ。「昨今のことを言っているのではないか」と、混乱した読者もいらっしゃるだろう。そう、70年代末に起きた第二次音楽不況もまた、2000年代に起きた第三次音楽不況と共通点が多い。

音楽史とメディア史のダンスのなかに、現代に通じるいくつもの共通点を見つけることができるだろう。マーク・トウェインの言葉に「歴史はそれ自体を繰り返さないが、しばしば韻を踏む」という有名な一節があるが、「しばしば」という表現では不足を感じるほどである。しかし、この本の見所は、その韻を踏み外したところにある人間ドラマにある。破壊の歴史が驚くほど似通っているのに対し、復活の物語はひとつひとつ異なっており、まるで小説のようだ。このあたりはぜひ本書で直接確かめてほしい。

その他にも、メディア史に興味がある人にとってはたまらないエピソードがごろごろ転がっている。たとえば、蓄音機というハードを発明し、さらには世界最初のメジャーレーベルのオーナーとしてソフトの開発も行ったエジソンの話。

技術力を誇りに企業運営してきたエジソンは、このアーティスト重視の流れを嫌った。彼は、レコードのラベルにアーティスト名を印刷することすら嫌がった。「音楽を安価で、だれの手にも届くように」というのがモットーだったエジソンにとって、無名のスタジオミュージシャンを使った安価なクラシック・レコードこそ正しかったのだ。

 これなどは、オープンなウェブによる非中央集権的な言論空間にインターネットの初期の理想を投影する古めかしい態度に通じるものを感じる。技術がエスタブリッシュのカウンターとして登場するという点においてもそうだし、その抵抗がどこかの時点で勝負の相手を見失ってしまう点においても似ている。
そして歴史は、技術がマーケットをリードするフェーズの次に、コンテンツやプロダクトやサービスがマーケットをリードするフェーズがやってくることも囁いてくれる。孫引きが続いてしまうがご容赦いただいて、スティーブ・ジョブズ氏がビル・ゲイツ氏との対談で語った内容を引いてみたい。

「これまでのキャリアで痛感したことがある。最も優れた人材はコンテンツを理解できる人間だ。嫌になるくらい扱いづらいんだけど、コンテンツに関しては最高に優秀な奴らだから、俺はグッとこらえてやっていくんだ。これが最高のプロダクトを創る秘訣だ」

また、若き日のショーン・パーカー氏(ナップスターの創業者)は、今から20年も前の時点でこのような幻視を披露している。私たちは現在、それが正解であったことをよく知っている。

「人は利便性にお金を払うようになる」
20歳だったショーン・パーカーは、MTVにそう語った。コンテンツをコンビニエンスで包み込めば、人はお金を払ってくれるのだ。
利便性。スピード。無限のディスカバリー。無料との共生。この4つのスタンダードを丁寧に攻略できれば、音楽に限らず、マンガやアニメといった日本産のサブスクリプションが成功を収める日も来るだろう。

コンテンツ産業を救うのは誰か

そして、音楽業界の思想的リーダーだったというゲフィン・レコードのCTO、ジム・グリフィン氏の発言に私は特に感銘を受けた。

「いずれサービスが、プロダクトを凌駕する時代になります」
サービスとは音楽配信を指す。プロダクトとは楽曲を指す。グリフィンのこの言葉は象徴的だった。破壊のその先にある創造について洞察した言葉だったからだ。(中略)今後は音楽サービスの出来が音楽コンテンツの売上を決める時代になるとグリフィンは言う。サービスを創る才能が、コンテンツ産業を救うことになる。

地の文で繰り返したい。サービスを創る才能が、コンテンツ産業を救うことになる。なんと力強い言葉だろうか。本書にはあまりにも引用したくなる箇所が多すぎる。だから「コンテンツ」という言葉が出てきたのをきっかけにして、最初の問いかけに戻って終わりにしよう。さて「Content is King」とはどういう意味だったのか?

それはまず、短期的にその玉座から追われることがあっても長期的には成功を収めるだろうという祝福であった。本書を読み終えると、繰り返されてきた歴史から、コンテンツが再びその価値に相応しいポジションを得るであろうことがより確かに信じられるようになる。つまり、王は帰還する。

しかし、帰還する王はかつての顔をしていない。そこでいう「コンテンツ」とは、中身やパッケージのことを指すのではなく、プロダクトやサービスといった上位の概念に統合されたものに進化している。韻を踏むところと、踏み外すところ。歴史の向こう側に歩んでいこうとする私たちに、そんなことを考えさせる本だった。

最後に本書の特徴をもうひとつ。音楽史やメディア史の100年について書かれた記事や本は数あれど、そこに重要な役割を果たしたウォークマンやCDやi-modeといった日本のプロダクトやサービスをここまでしっかり織り込んで書いた本は他にないと言っていい。それが日本語で読めるアドバンテージがあるのだから、数年遅れの翻訳本をおっとり読んでいる場合ではない。
今読んでいる本を止めてでも手に取るべき一冊としてお勧めしたい。

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音楽が未来を連れてくる|DUBOOKS
榎本幹朗 (著)

著者紹介:
流寓院ケイ(るぐういん けい):東京のインターネット系スタートアップに勤務。サービス開発を主導する立場。仕事としても、個人的にもメディアおよびメディア関係者と多くの接点をもつ。

本記事は筆者と編集部の独自の取材に基づく内容です。スマートニュースの公式見解ではありません。