Media × Tech

「Media × Tech」ブログはスマートニュースのメディア担当チームが運営するブログです。テクノロジーを活用した次世代のメディアとはどういうものか? そうしたメディアをどうやって創り出していくのか、を考えていきます。

「サービスとしてのメディア」を実現する自己変革ツール——朝日新聞社が「Hotaru」導入で得た気づき

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編集部で見やすい位置に表示される「Hotaru」
デジタル化が進展、そしてスマホが普及し、読者がニュースを消費するスタイルは大きく変わりました。新聞社は、SNSやプラットフォームをうまく活用しながら、読者にジャーナリズムを届けるという使命を推進しています。
朝日新聞社は、2016年11月、デジタル指標分析ツール「Hotaru」を導入し、朝日新聞デジタルの運営・編集の両面でこれまで以上にデータを意識した取り組みを続けています。Hotaruは、2018年度新聞協会賞(技術部門)を受賞しました。
プラットフォームへの外部配信を進め広く読者へアプローチするのと同時に、読者の購読者化に取り組み、読者との深い関係づくりを進める朝日新聞デジタル。そのデジタル化施策、とりわけ編集の現場でデータをどう生かしていこうとしているのか。プロジェクトを推進したキーパーソンである3人の方々に聞きました。(Media×Tech編集部)

Hotaru導入以前にはツール、意識の両面に課題があった

Hotaru導入以前の課題について、Hotaruの運用や機能改善などに携わる東京本社編集局 員兼デジタル編集部員兼情報技術本部員 今垣真人氏は、「編集局には約2300人のメンバーがいるが、朝日新聞デジタルがどのように読まれていたかを、編集局員全員が等しくデータで知ることができない環境でした」と振り返ります。

今垣氏は入社後、約10年間技術部門に在籍し、その後、編集局に異動してきた「技術と記者・編集者職がわかる」異色のキャリアを持っています。

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「技術と記者・編集者職がわかる」貴重な役割を担う今垣真人氏

Hotaruは、デジタル上での読者の動向を分析し、「編集局員全員が自分たちの書いた記事がどう読まれているか、様々な角度から分析できるツール」。それまでは、デジタルを業務にしている人間は、別の解析ツールを使いコンテンツをめぐる指標を確認していました。

しかし、それは記者たち全員が等しく使えるツールではありませんでした。「これから本格的にデジタルを意識した記事作りをしていく上で、全員がデジタル指標を解析、可視化できるツールが必須」と開発したのがHotaruです。

「もともと、アクセス解析のデータは日次のレポートがPDF形式で出力され、メールで送られてきました。問題意識のある所属長などは、個別にデータを取り寄せていましたが、手間や時間がかかっており、自分たちで書かれた記事の反響を能動的に知ることができませんでした」と今垣氏は話します。

こうしたツール面での課題の一方で、カルチャーに関する課題について述べるのは、編集局長代理 佐野哲夫氏です。朝日新聞編集局のDX(デジタルトランスフォーメーション)責任者も務めています。

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従来の新聞の紙面作りは「プロダクトアウトだった」と振り返る 佐野哲夫氏

佐野氏は、30年近く新聞「紙」に記事を書いたり、デスクや編集長をしてきたりしました。従来の新聞の紙面作りというのはどうしても、取材記者としての言語化されていない経験や勘に頼りがちで「プロダクトアウトの記事の作り方だった」と話します。

ニュースめぐるマーケットが変化する中で、作り手としての意識を変えていかなければならない、そのためのツールが必要という課題があったといえます。

メディアの特性に応じたニュース作り「2つの改革」

Hotaruの開発は、2016年6月頃に始まりました。今垣氏は「5月頃に構想についての本格的な議論が始まり、実開発期間は3か月半程度、2016年10月半ばには完成しました」と話します。

Hotaru開発の初期のゴールは「当たり前の指標を、当たり前のように伝えていく」ことに置かれたといいます。社内にはデジタルについての感度の高い人とそうでない人がおり、たとえば「朝日新聞デジタルが、いつ、どの時間帯に読まれているか?」「主な流入元はどこなのか?」ということも、全社的に共有されているとはいえない状態だったといいます。

ちなみに、朝日新聞デジタルの1日にはPVのピークがいくつかあり、最大のピークは昼の12時以降の昼休みの時間帯。そして朝夕の通勤時、夜の帰宅後の時間帯などがニュース消費のピークとなっています。

そうした、ある意味「当たり前のこと」も、データという裏付けを持って知ることがスタートラインでした。そして、もう1つ重要な要素は、UIやUXといった「使い勝手」に関する目標でした。

「こだわったのは、記者になるべく操作をさせないこと。操作手順書がなくても直感的に使えるよう、ダッシュボードに表示する指標を検討するとともに、画面のUIは普段、コンテンツを作っているデザイナーに頼んで内製しました」(今垣氏)。

現在のHotaruは、指標を見直したり、新しい指標を加えたりしながら機能改善を重ね「バージョン4」の段階にあるといいます。たとえば、朝日新聞デジタルのひとつのCV(コンバージョン)は「会員獲得」ですが、どういう記事が会員獲得に効果があったか確認できるよう、コンソール画面に表示する指標をきめ細かく設定しています。

では、媒体運営に責任を持つ立場から、編集現場に対して「こういう指標を意識してほしい」というものはあるのでしょうか。
この点について、現在のデジタル編集長で8月末までソーシャルメディアエディターを兼任した大西滝子氏は、「繰り返し言っているのは、新聞はともすると記者の思いで作ってしまいがちだということ」だと述べます。

読まれ方に関する数字に毎日接して、世の中のニーズや反応を理解した上で記事を書く。そうしたベーシックなことを繰り返し、伝えているのだといいます。

佐野氏も紙面作りの変化についてこう述べます。たとえば、これまでの(新聞の)記事作りは、前文を読めば記事全体が把握できるような「逆三角形の記事作り」が良しとされてきました。
しかし、デジタルの世界では、リード(前文)にすべてを書いてしまっては、その続きを読んでもらえません。会員獲得につなげるためには、「次に、次にと期待を喚起するような」記事作りが必要。写真や動画のレイアウトを含め、記事の構成について記者たちが考え始めるようになっていったとします。

また、紙面とデジタルの棲み分けという点でも、大きな意識の変化があったといいます。新聞というのは、これまで夕刊締め切り、朝刊締め切りという紙面作りの大きなタイミングがありました。

「日本時間の深夜に、トランプ大統領がTwitterでつぶやいたとします。その時間のニュースは通常、朝10時に出稿され、夕刊に掲載されるスケジュールですが、そのタイミングではすでにニュースは消費され終わっています」と佐野氏は話します。

そこで、少なくとも朝の段階で、Twitterの発言の背景は何か? という点まで踏み込んで書く必要が生じます。つまり、「速報が重視されるニュースはデジタルで、そして、ネット空間に投げてきた記事を重層的にまとめていく、1つの記事をデジタル、紙の両面で立体的に見せていく」必要があるというわけです。

こうしたメディアの特性を意識しながら、ニュースの発信のし方の改革も、コンテンツ作りの意識改革と併せて進めていったのです。

データに対する意識づけも変わった

朝日新聞デジタルでは、2年前ほどから、デジタル指標として有料会員獲得を重視するよう舵を切っています。

大西氏は、どういう記事が有料会員獲得につながっているかについても、「記者に関心を持ってもらうべく理解を広める努力をしている」と話します。

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「記者に関心を持ってもらうべく理解を広める」重要性を述べる 大西滝子氏

「なるべく多くの人に読んで欲しい」と考える記者は、会員登録と引き換えに読んでもらうために「記事にカギをかける(購読者のみ閲覧できるようにする)」を心理的に嫌うといいます。そうした気持ちに寄り添うため、有料会員獲得につながった記事のチアアップにも注力。毎週1回、編集局発の「週報」という形で振り返りを行い、成果をあげた記事に込められた工夫やノウハウを編集局員に共有しています。

一方、佐野氏は、編集側の議論の深まりにともない、最終的なゴールは「読者の満足」に行き着くと話します。

「最初は、PVが上がったという点に関心が集まり、次第に、お金を払ってでも読んでいただける価値のある記事を作っているか、に関心が移っていきます。有料会員を獲得するコンバージョンの困難さに気づき、コンバージョンのためには、ある程度の規模の読者に読んでもらうという分母を確保するためにPVが必要、という認識が生まれてくるのです」と佐野氏は述べる。

そして、その先には、有料会員が離脱しないためのリテンション(会員維持)重視、つまり満足度を高めていくとの考え方が芽生えるそうです。

そこで、Hotaru「バージョン5」では、記事の読了率や、有料会員の満足度を測りリテンションへの寄与などの指標を可視化すべく検討を進めているところです。「最終的にどのような指標づくりに着地?」との質問には、「まだ検討の段階」という慎重な返事でした。

SNSのホットワードだけに目を奪われないように

具体的な記事作りにおいて、データはどのように活用されているのでしょうか。佐野氏は「日々の取り組みの中で、こういう記事は読まれた、読まれなかったというのを言語化し、可視化することに尽きる」とします。

確かに、読まれていない記事をあげつらっては摩擦も生じます。しかし、デジタルで戦う以上、「数字に向き合わないわけにはいかない」と言います。

「たとえば、決算発表の記事なども、発表内容をただストレートに伝えるのではなく、朝日新聞ならではの切り口、ストーリーを持って伝えるようにするなど、自分たちの何を、誰に届けたいのか、という観点で、定期的に分析データを開示してデスクと共有することに取り組んでいる」

もちろん、多く読まれない記事であっても、ジャーナリズムの観点からは必要なことがあります。メディアの信念として、あえてプロダクトアウトで作らないといけない記事もあるのです。しかし、なんの工夫もない記事が根拠もなく出てくることは少なくなるよう、「デスクとディスカッションを積み重ねている」といいます。

大西氏は、部内に組織したデータ分析チームが分析するデータとの向き合い方として、「SNSなどのホットワード」の活用をあげます。

たとえば、8月の日米首脳会談を受けて、Twitterのホットワードに「トウモロコシ」というキーワードがあがりました。これは、安倍首相が8月の日米首脳会談でトランプ大統領の要請を受け、米国産の飼料用トウモロコシの購入を約束したもの。

背景に米国と中国の経済摩擦の影響があるため、特に「トウモロコシ」というキーワードがバズったわけですが、「こういうホットワードがあったので、次にそういう機会があったら、この角度で攻めると効果的だ」と伝えるようにしているといいます。

大西氏は「ソーシャルメディア担当をしていると、ホットワードに身を寄せていくことは、様々なメディアや個人も世論をリードするようになった今、大事なことだと実感する」と述べます。しかし、ホットワードに対応することだけに記者が疲弊してはなりません。

最近では「ベネズエラの親子の飢餓」について書かれたルポルタージュが多くのPVを集めました。
石油価格の下落で経済が悪化したベネズエラでは深刻な外貨不足に陥り、激しい物不足に襲われている。こうした現状を報告した記事は、「SNS発の話題ではなく、記事と写真の力だけで広く読まれた事例」と大西氏。ホットワードだけに目を奪われて、自力で読者を引きつけようとしている熱いニュースの芽を摘まないようにしたいともいいます。

「サービスとしてのメディア」を実現するために

新聞デジタル版のビジネスでは、数年前までは広告収入が大きな目標でした。しかし、そのような広告依存のモデルから、有料会員の獲得、そのリテンション、さらにその他のビジネスへというように、追求すべきテーマが増えています。

今後のアプローチについて佐野氏は、「Hotaruによってまず、自分たちの記事がどのように読まれ、会員獲得に貢献しているかを言語化し、データによって意識する段階に進むことができた」と述べます。

そして、デジタル化の取り組みは、決して編集局の中で完結するものではないとの意識が芽生えてきたといいます。デジタル化によって、これまでテキストだけを書いてきた記者が動画も撮るようになり、報道の枠は広がっていきます。

併せて、記者自身も発信元として自らのブランドを高めていく取り組みを行うことが大事です。たとえば、報道以外の領域でコミュニティを作って活動するというように、記者の価値を高めていく領域はますます広がっていくでしょう。

新聞社もこうした変化に対応すべく、狭義の編集局という枠にとらわれず、「サービスとしてのメディア」を追求していきたいと佐野氏は語ってくれました。

メディアとしてのあるべき姿を再定義、再構築していくため、様々な分野の知見を広め、社内に残る縦割りの弊害をあらためていく。Hotaruを通じた佐野氏らの挑戦は、記事制作の枠を超え、会社自体の変革を目指してこれからも続きます。

(まとめ:阿部欽一)

本記事は筆者と編集部の独自の取材に基づく内容です。スマートニュースの公式見解ではありません。