近年、今後のメディアビジネスの戦略として、サブスクリプションが話題だ。しかしサブスクリプションとは、機能の導入だけでなく、組織戦略まで踏み込まなければ成功しないのではないか。
筆者は、デジタルマーケティングのサービスを展開するデジタル・アドバタイジング・コンソーシアム株式会社(以下、DAC)で媒体社の広告事業を支援している。ここ数年、広告以外の相談、特にサブスクリプションについての相談を受ける事が増えてきた。その答えを探しにアメリカにわたり、いくつもの会社とディスカッションを行った。この工程でいまのアメリカのメディアビジネスの事例について知ることができた。
現在DACでは、日本の媒体社がサブスクリプションモデルで成功するためのソリューションとしてarc publishingというメディアプラットフォームサービスを日本で展開している。
そのarc publishingを擁するワシントン・ポストはデジタル化を推進し、どのような社内体制になったのか、その成功事例をここで共有させていただきたいと思う。
1.ワシントン・ポスト ~ 経営危機からの体制刷新
2011年からデジタルトランスフォーメーション(以下、DX)を推進し、2013年にはジェフ・ベゾス氏の資本参加を受け、更にそれを加速し成功したワシントン・ポスト。彼らはどのようにこの成功モデルを築くことができたのか紐解きたい。
経営危機に陥ったワシントン・ポスト社は体制の刷新と新たな全社戦略を打ち出した。
卓越したジャーナリズムとエンジニアリングを実現する会社になるというのだ。
2013年のベゾス氏の資本参加をきっかけに、エグゼクティブエディターとしてマーティン・バロン氏(Martin "Marty" Baron:映画スポットライトの主人公にもなったジャーナリスト)、EVP兼CIOとしてシャイレッシュ・プラカシュ氏(Shailesh Prakash:マイクロソフトやモトローラ出身のエンジニア、US流通大手のシアーズのDXを成功させたことで有名)が加わり、その構想は実現に向かって動き出した。ご存知の通り、バロン氏は何度もピューリッツァー賞を受賞した世界的ジャーナリストであり、その下でコンテンツ改革が推進された。卓越したジャーナリズムの実現である。
一方、シャイレッシュ氏は全米のエンジニアから募り30名のエンジニアによる特別チームを編成しモバイル時代の編集・配信システムの開発を開始した。これが現在のarc publishingだ。
この後も arc publishingは何度も登場するので簡単に解説する。既にご存知の方はいわゆるCMS(コンテンツマネジメントシステム)として認識されているようだが、実際にはメディアプラットフォームという表現が正しい。それは大きく、5つの仕組みが組み合わさってできている。
- コンテンツを作るCMS
- 業務管理するコミュニケーションツール
- コンテンツを最適化するためのアプリ群
- コンテンツを届けるためのツール
- マネタイズのためのペイウォールシステム
これらによりコンテンツ運用からマネタイズまでワンストップでサポートすることが可能だ。更に、最新のアップデートでは放送局向けの機能追加がされている。記者専用のアプリから、直接ライブ中継ができるというものだ。サブスクリプションを推進するにあたり、コンテンツのリッチ化、つまり動画化が重要と考えている媒体社にとって非常に良い機能だと思う。
2.デジタルファーストのワークフロー
成功劇を語るその前に、彼らのワークフローを知る必要がある。
日本の新聞社の多くは、記者が作った記事をデスクがチェックし、整理部が紙面やWEBに反映させる。ワシントン・ポストも改革前は同じフローだった。
しかし、業務管理システムを使い、24時間365日いつでもコミュニケーションを図り、執筆中の記事の進捗管理を行い、配信が始まった記事のコンディションを知ることができる。この管理システムはSlackにも繋がっており、どこでも仕事ができるようになっている。
出来上がった記事は本紙の印刷を待たずに、WEBで公開し、各種APIを通じて外部配信され、あっという間に世界中に届けることができる。
本紙は後工程になり、本紙レイアウトを前提に記者が記事を書き始めることは無くなった。
記者は、取材した内容を思い切り書く。外部配信責任者がアップルニュース用にタイトルと本文の一部を変更したり、本紙の組版チームが、紙面に合わせて文字数制限を設けて、記者へリライトを依頼したり、WEBのトップページチームはアプリを使っていくつかのタイトルを生成して、ABテストをおこない、最適化をしながらコンテンツを運用する。
このように、ワシントン・ポストは最終アウトプットの形を考えず、デジタルファーストのコンテンツ運用を実現している。
また、従来の組織と大きく変わるポイントがある。記事流通工程においてアウトプット責任者の権限を強化していることだ。いまや、ひとりの人間がすべての出口に対してすべて管理することは複雑化しすぎていて不可能である。そのため、各配信先プラットフォームや、WEB、アプリ、紙面に対しての責任者が存在し、彼らが最適化を行う体制になっていることだ。これには、記事の再編集という業務も含まれる。
また、最終アウトプットを前提にしないことで起こる副産物もある。記者が取材した内容を余すことなく記事にすることができるようになったのだ。
限られた紙面では記事の概要を。ページ数や配信タイミングが自由なWEBでは、複数回に分けて配信するなど、コンテンツファーストなメディア運用を行うことができるようになるのだ。
3.多くのコンテンツを生み出し、多くの場所に届け、多くの人の目に触れさせるというサブスクリプション戦略
なぜデジタルファーストなのか。また、アウトプット責任者への権限移譲はなぜ起きているのだろうか。
ベゾス氏をリーダーに改革を推進する中で、シンプルに全社で目指す目標を掲げた。1億人の定期購読者を目指すというものだ。非常にシンプルかつ力強い目標だが、2013年当時の新聞発行部数は30万部を切っていた。そこからの1億人である。無謀な目標に思えるが、最近の発表ではすでに200万人のデジタル課金ユーザーを抱えており300万人も目前とのこと。
では、どのような仕組みで購読者を増やしているのだろうか。戦略もシンプルだ。読者が増えれば、その内の何人かは課金ユーザーになってくれるはず。そのためには、(クオリティは維持したまま)とにかく多くのコンテンツを生み出し、多くの場所に届け、多くの人の目に触れさせる。サイトに訪れたユーザーに対してペイウォールで課金をオファーする。
arc publishingのメインダッシュボードは、現在アクセスしている人数や配信中の記事本数などといった数字のほかに、ピッチと呼ばれる数字が常に表示されている。
ピッチとは、アウトプット責任者に対して記者や編集者が、配信して欲しい記事を選考(ピッチ)にかけ、それぞれの配信責任者が自分の担当領域に合っていれば、配信するという仕組みだ。
記者のKPIは自分が作った記事が読まれる人数。
配信責任者のKPIは担当する配信先で多くの記事を多くの読者へ届ける事。
ペイウォールの責任者のKPIは集まったユーザーに対して最適なペイウォールを掲出し効率的にサブスクライバーにすることだ。
実に100種以上のペイウォールが常にABテストされていて、徐々に成約率が高まっている。その結果としてサブスクライバーの増加率は日々高まっているという。各部署、担当者はこの目標に従ってそれぞれの役割を徹底的に行い、KPIの達成に貢献している。
4.徹底的にデータドリブンなコンテンツ制作と配信
さらに、arc publishingにはデータを活用した様々なアプリケーションがある。
例えば、コンテンツ分析結果とユーザーの接触履歴をもとにコンテンツと広告をパーソナライズする。ライブテストで複数の記事タイトル・サムネイルの組み合わせから最もクリック率の高いものを選び取る、購読者のエンゲージメントを計測してコンテンツ戦略に反映するなど、ワシントン・ポストがarc publishingの各機能を使って、徹底的にデータドリブンなコンテンツ運用をしている。
アクセス解析ツールやDMPは導入していても、これほどデータを生かしているメディアは少ない。
また、ワシントン・ポストの特徴の一つはユーザーファーストであることも挙げられる。エンゲージメント計測機能を使うことによって、ユーザーごとのエンゲージメントが計測できる。いくらスパイクした記事があったとしても、そのアクセスが無料閲覧者からのアクセスで、ワシントン・ポストの本質的なファンである購読者にエンゲージしていなかった場合は、そういったコンテンツを作らない、配信しない。
データを使って観察するだけでなく、その結果をコンテンツ戦略に生かしているのだ。
5.デジタルファーストが変えたメディアでの働き方
メインダッシュボードに全体のアクセスと記事の公開タイミングを可視化したインターフェイスがある。このインターフェイスを見ると、アクセスは朝帯と昼帯に集中している。ニュースサービスにおいて、これは全世界共通だろう。では、ユーザーは何を楽しみに、何を目的にこの時間帯にアクセスしてくるのだろうか。
答えは、最新のニュースを知りたいからだ。ユーザーアクセスが増える直前に、できる限り多くの記事を配信することで最新ニュースがあふれる魅力的なメディアとなるのだ。
朝9時のワシントン・ポストのオフィスに行くと閑散としていることに驚く。各種モニターパネルが設置された先進的な吹き抜けのオフィス中心部では、時間帯担当の編集長がすべての数字やソーシャルの反応を一覧できるデスクに座っている。
記者はサテライト(自宅やホテル)から、記事をアップロードしているからだ。デスクや責任者もオンラインで確認しながら記事の配信や新聞の発行を行っている。
ユーザーに見られる時間帯に合わせることで、働く時間帯も変わり、リモートワークも盛んになった。無駄な通勤ラッシュにも巻き揉まれず、メディアビジネスに集中できる素晴らしい環境がそこにある。
6.広告ビジネスでも行われた再編成
ワシントン・ポストは購読者を最大化するために、制作フローを変更し、働き方も変えた。
更に、広告ビジネスも好調だ。現在、70名を超える動画コンテンツ制作者がワシントン・ポストには在籍しており、動画コンテンツの冒頭や合間には大手企業のCMが流れている。コンテンツ接触者の属性・行動データを集積したDMPを使って、ユーザーが関心を持ちそうな広告に限って配信しているため、広告効果も高いという。
目標を明確化し、達成のための戦略を立て、実証し、修正しながら、広告ビジネスの可能性も探り、結果として最適なバランスを見つけ出している。もし、バランスが崩れてもモニタリングする仕組みがあるので、早急に危機を察知し対応する時間がある。データを活用したメディア運用を愚直に実施した結果だ。
また、企業のオウンドメディア構築も、大きく収益に寄与している。近年広告主は短期的な売上から、LTVの最大化に着目するようになってきた。そのためには、どのようなユーザーにどのようなコンテンツでブランド価値を伝えるかが必要だ。ここでデータを持ち、企画力・編集力のあるワシントン・ポストへの期待が高まっているのだ。機会があれば、また詳しくお伝えさせていただきたい。
ワシントン・ポストのやり方をそのまま日本に持ってくることは難しいと思うが、arc publishingというプラットフォームを活用し、それぞれの最適解を導き出せるようにデータを集積することは可能だ。そしてもちろん、arc publishingを使わなくても、インフラ、組織、ワークフロー、働き方を再構築することも可能だ。
今一度、自社のリソースを見直し、自社の未来を考えて欲しいと思う。
DACはarc publishingを媒体社へ提供することも可能だが、ワシントン・ポストの事例を元に各社の最適化の支援もできる。まずは気軽に相談していただきたい。
著者紹介
砂田和宏 (すなだ かずひろ)
編集プロダクション、デザインブティックを経て、2005年からデジタル・アドバタイジング・コンソーシアムにてメディアビジネスを担当。
広告開発や、メディア企業のデジタルトランスフォーメーションといったコンサルティング業務のほか、新規事業や投資先企業との事業創造を行っている。
ワシントン・ポスト社と協業するarc publishing事業の日本責任者。
警視庁キャラクターのピーポくんと、雑誌を愛するテキーラ・マエストロ。