デジタルメディアが定着して久しいが、めまぐるしく技術が進歩する時代に組織をアップデートし続けるのは容易ではない。テクノロジー人材の獲得、定着に向けた文化醸成、成長への動機付け。難課題に対峙する各メディアに人材戦略を聞いた。
■新たな会社像
2020年2月2日。文京区音羽の「講談社」内に、デジタルメディアの研究・開発に特化した新会社「KODANSHAtech合同会社」が産声をあげた。講談社で記者・編集者として働いてきた37歳の長尾洋一郎氏がジェネラルマネージャーに就任し、本社内の倉庫だったスペースを自ら改装して今風のオフィスに仕上げた。
長尾氏は、創業百年を超す老舗出版社である親会社とは一線を画した、新たな会社像を実現しようとしていた。「元々、フリーランスエンジニアの働き方に共感していた。彼らは向上心に従って成長につながる案件を選び、時には仕事量を抑制して勉強に時間を当てる。(KODANSHAtechに所属する)エンジニアたちには雇用による安定を感じてもらいつつ、しかしフリーランスのように時間にしばられず、それぞれの力を高めてもらいたい」
そんな長尾氏が考案した、自由な就業ルール、そしてプロフェッショナル同士が互いに尊重し合えるフラットな組織は、次のようなものだ。
- 兼業可(競合企業での兼業もOK)
- リモートワーク可
- 翌月の勤務日数は自分で選択可(理由は問われない)
- 上下関係なし(ピープルマネージャーは現在のところ長尾氏1人)
すでに約15人のエンジニアやディレクターが集まり、講談社が保有するウェブメディア、ウェブサービスに横断的に関わるほか、オリジナル事業の創出にも挑戦している。一体、どのような背景から、このユニークなエンジニア組織が誕生するにいたったのだろうか。
■外部エンジニアとの出会い
2017年6月、長尾氏は講談社のビジネスパーソン向けウェブ媒体「現代ビジネス」の編集部に異動になった。
「『DX(デジタルトランスフォーメーション)』という言葉もまだ普及はしておらず、『このままではやばいね』という言い方をしていた」と、当時を振り返る長尾氏。「週刊現代」と雑誌名をネット検索しても、自社サイトが上位に表示されず、唖然としたという。
自社のデジタル戦略に問題意識を募らせていたその年、長尾氏は、ある社外のエンジニアとの出会いをきっかけに、社内外の有志で就業時間後に集まってメディアビジネスの未来像を語り合うようになっていた。そんな折、講談社内でにわかに持ち上がったのが、同社の有力媒体の一つ、写真週刊誌「FRIDAY」のデジタル版「FRIDAYデジタル」構想だった。
長尾氏は、関係性を深めていた外部エンジニアたちの力を、社内横断的に活用することを提案。2018年6月、通称「techチーム」が正式に発足した。
■「FRIDAYデジタル」の成功
「外部ベンダーもプロなので長所もあるが、発注・受注の関係には、限界があると思った。お願いしたことを、失敗なく、手堅く実現しようとするので、(外部ベンダーは)確実な手段を取る。それだけでは、UX(User Experience)を競っていく市場では戦えない」(長尾氏)
それまで、現代ビジネスはじめ講談社の各媒体サイトは、外部ベンダーが作ったCMSを利用していたが、「FRIDAYデジタル」はtechチームがすべて内製した。要件定義にあたり、長尾氏はエンジニアたちとメディアの価値をあらためて議論し、デザイン思考でUXを考え抜いた。
「文章を書く、写真を撮る、といったところにとどまらず、それらがユーザーにどう利用されるかまでコーディネートしないといけない。そこまでやらないとメディアを作っていることにならないのではないかと気づいた」
2018年10月にオープンした「FRIDAYデジタル」は、その後1年半で月間1億PV達成した。
■記事の中身とは別の勝負
FRIDAYデジタルは成功したが、長尾氏は満足していなかった。
「講談社の伝統的な編集の現場では、KPIが先に立つことはあまりない。達成目標を全員が共有し、練り上げたプランの中で全体のリソース配分しましょう、という運用スタイルというより、『置かれた場所で咲きなさい』という感じだ。各現場で一人ひとりが頑張った結果、(月間1億PVの)数字がついてきた。つまり、良い著者を連れてくれば、あるいは頑張って良い記事を書けば、ヒットが出てPVが伸びるよね、という書籍企画の発想に近い。しかし、ウェブメディアの早いコンテンツ消費サイクルの中、そうした発想で記事を投下し続けてグロースしていく戦略には限界があると感じていた。一定のコストをかけて、我々のクオリティで我々の良さを押し出したとしても、1記事あたりのPV平均値は決まってくる。となると、PVを増やすためには、編集者を増やして、出力できる記事数を増やす必要があったが、編集者の増員は容易ではなかった」
そこで長尾氏が限界を突破するために必要だと考えたのは、やはりエンジニアたちの力だった。
「外部配信を自動化したり、UXを改善したり。記事の中身とは別のところで勝負していく必要があった」
techチームの立ち上げ時の体制は、社員2人と業務委託のエンジニアが4人。同チームのリーダーである長尾氏は組織を成長させるために、さらなる人材獲得を目指した。「エンジニアを欲しいと思っている業界がありとあらゆるところに広がっている。そんな中で、どうすれば人を集められるだろうか。それはより良い就業環境を提供することだろう、と。講談社の評価体系は、出版社業務の従事に最適化されていて、途中から特殊技能の人が入ってきても、評価が難しい。そこで、新しい会社を作らないといけないと考えた」
長尾氏は合同会社の形で、エンジニアたちの働きやすさを追求した新会社「KODANSHAtech」を発足させた。中堅社員による大胆な動きではあるが、先のFRIDAYデジタルの成功が後押しとなり、事はスムーズに運んだ。「KODANSHAtech」では、ピープルマネージャーは長尾氏のみ。他はすべてエンジニアやデザイナー、ディレクターなど実働部隊で、プロジェクト単位の役割分担を除けば対等な関係の中、兼業OK、リモートワーク OKと、雇用されながらもフリーランスに近い多様な働き方を享受している。
その中でも特徴的なのが、翌月の勤務日数を、長尾氏と相談して自ら決めることができる制度だ。例えば来月は週2回出勤に減らすなど選択することができ、その理由は問われない。「勤務時間外で何を豊かにするかはその人次第」(長尾氏)と自主性が重んじられている。エンジニアたちは「年俸相当額」としてそれぞれの“市場価値”が会社から示されており、これを営業日数で割った単価に勤務日数を掛けた金額が毎月支払われる。
■ウェブサービス化
「KODANSHAtech」は講談社のすべてのウェブメディアに横断的に関わるが、開発受託の立ち位置ではない。「既存の書籍ブランドをウェブメディアブランド化し、続いてウェブサービス化に進む」。これが長尾氏が考えている講談社のデジタル戦略イメージであり、その推進役としてKODANSHAtechがある。
ウェブサービス化にあたり長尾氏が思い浮かべるのが、ニューヨークタイムズ名物のクロスワードパズルだ。同社のクロスワードパズルは、かねてより紙面で根強い人気のコンテンツ。電子版でもニュースとは独立した課金サービスとして有料会員数増加に貢献しているとされている。このような、いわゆるジャーナリズムの文脈で想起されるコンテンツとは別の「日常的な情報を日常的に提供するサービス」(長尾氏)がメディアビジネス上、有効だとにらんでいる。
講談社でのウェブサービス化の一つの事例として、長尾氏は「ブルーバックスアウトリーチ」を挙げる。「ブルーバックス」は元来、講談社の科学新書ブランドであり、オンライン上では理系コンテンツのメディアブランドとして展開されてきた。これをさらに一歩進めて、研究支援プラットフォームとしてウェブサービス化した。
長尾氏は「本を作るだけでも大変なことなのに、編集者にウェブサービスまで新たに考えてほしいといっても難しい。我々のセクター(KODANSHAtech)からも積極的に事業提案を行い、皆が頑張って作っている書籍ブランドをウェブメディア化し、さらにウェブサービス化して日常的に使われるようにし、ユーザーに愛され豊かになっていく未来像を思い描いている。その際、まったく新たなブランドを作ることも否定はしないが、それでは我々の強みが出ない。まずは、既存のブランドを拡張・再定義する。そして、これまでのクリエイターとの関係を大切にしていきたい」
KODANSHAtechは今後2-3年かけて、25-30人規模まで増員する計画だ。積極的にリファラル採用を進めているほか、長尾氏自身がイベント出演や講演を行うことで広くアピールしている。長尾氏は「メディアやコンテンツが好きだと、はばからずに言える人が来てくれると親和性が高い。技術でエッジーなことをやろうとはしているが、とは言え、コンテンツが生み出すプロセスに関心があったり、編集部という存在にワクワクする人に来てもらいたい」と参画を呼びかけている。
筆者紹介
荒牧航(あらまき・わたる)
スマートニュース株式会社コンテンツアソシエイト。慶應義塾大学文学部卒業、千葉日報社にて記者、経営企画室長、デジタル担当執行役員を歴任。日本新聞協会委員としても活動後、2019年9月にスマートニュース株式会社へ参画。中小企業診断士としてメディアコンサルティング等にも携わる。
本記事は筆者と編集部の独自の取材に基づく内容です。スマートニュースの公式見解ではありません。