ロシアによるウクライナ侵攻が続くなか開催された「Global Fact 9」。世界のファクトチェック団体をネットワークするIFCNが開催する年次カンファレンスだ。世界でファクトチェック団体やその活動が広がる一方、ウクライナ侵攻をはじめ、権威主義的国家の下で、あるいは社会的分断が深まる民主主義国家において、「偽情報」の脅威がますます高まる。カンファレンスに出席し、自らもファクトチェック活動に取り組む古田大輔氏が、ファクトチェックをめぐる最新課題を論じる。(編集部)
情報汚染はなぜ止まらないのか
2016年のアメリカ大統領選から、20年の新型コロナウイルス、さらには21年の米連邦議事堂襲撃、そして、22年のロシアのウクライナ侵略…...。誤情報や偽情報は世界に拡散し、状況は悪化の一途のように見えます。
何も対策がとられなかったわけではありません。この6年、各国で情報を検証するメディアや非営利組織(NPO)は激増しました。ファクトチェックだけでなく、メディア・リテラシー教育や法的な規制、プラットフォームの対策強化など、様々な施策が実施されました。
それでも状況が好転しない理由はなぜか。効果的な対策はありうるのか。
私は2022年6月、ノルウェーの首都オスロで開催されたファクトチェックに関する国際会議「Global Fact」に参加しました。9回目となる今回は3年ぶりにリアル開催となり、会場のオスロ・メトロポリタン大学には世界中からジャーナリストや研究者ら500人以上が集まりました。
4日間にわたり、全体会から分科会まで約60のセッションで繰り広げられた多様な議論について、3つのキーワードを中心に紹介し、最後に日本の現状に触れたいと思います。
ファクトチェックは世界で広がっている
Global Factでの議論の前に、前提として知っておくべきことがあります。それは、情報を検証するファクトチェック団体は近年、欧米だけでなくアジアやアフリカなど世界で増えているということです。
米デューク大が2014年に世界中のファクトチェック実施団体のリスト化を始めた際、最初のリポートでは44団体でした。ミスインフォメーション(誤情報)やディスインフォメーション(偽情報)への危機感の高まりとともに、18年には149、19年には188、20年からの新型コロナウイルスをめぐる「インフォデミック(誤った情報の拡散)」によってその動きは加速し、22年6月のリポートでは、371団体が活動中と報告しています。
それでも、世の中に拡散する誤情報・偽情報と比べると、ファクトチェックは明らかに劣勢である。これがグローバル・ファクトに集まった専門家たちに共通する実感でした。
新型コロナ、国会議事堂乱入、ウクライナ...
ファクトチェックが劣勢に立たされている実例は、数多あります。Googleに登録されているファクトチェック機関のファクトチェック事例を検索できるGoogle Fact Check Toolsで例えば「Video」と検索してみると、世界中で改変された動画がどれだけ拡散し、検証されているかの一端を知ることができます。政治的な話題にとどまらず、経済、社会、文化、著名人のゴシップなどありとあらゆるトピックで誤った情報が広がっています。
では、どうすべきか。会議で何度も出てきたキーワードを3つ紹介します。「ナラティブ」、「コラボレーション」、そして「テクノロジー」です。
「対抗するナラティブを考えることが私たちの仕事」
キーノート・スピーカーとして登壇したジャーナリストでピュリッツァー賞を受賞した歴史家でもあるアン・アップルバウム(Anne Applebaum)氏はファクトチェックの限界を指摘するとともに、その限界を乗り越える手法として、「ナラティブ」の力を強調しました。
ここでいう「ナラティブ」とは、日本語では「物語」などと訳されますが「ストーリー」とは異なり、日本語でもよく使われるナレーションの意味を含んだもので、語り手視点の物語です。
例えば、ウクライナが生物化学兵器を工場で作っていたというナラティブ、戦争の原因はNATOや西側やウクライナにあるというナラティブ。これらは事前に準備され、それを信じて語る人たちと深く結びついています。個別の情報をファクトチェックしても、そのナラティブの力に対抗するのは難しい。新型コロナのワクチンは健康を害するものであり、摂取するべきではないと語る人たちに対して、個別のファクトチェック記事があまり効果をもたないことにも通じます。
アップルバウム氏は、次のように指摘しました。
ファクトチェッカーにとって危険なことは、自分たちを助けてくれるナラティブが持つ力を見逃してしまうことです。文脈から切り離されてしまうと、それが真実か嘘かほとんど意味を失ってしまいます。物語の一部として説明する必要があるのです。
ウクライナやロシアについて取材を続けてきたアップルバウム氏は、現在の戦争をめぐる言説について「政府が嘘やシンプルな事実と矛盾することを語っているということではなくて、事前に入念に準備されたナラティブが存在している」と語ります。
アップルバウム氏はその対策をこう提案しました。
対抗するナラティブや言論を考えるのが私たちの仕事です。ウクライナ人がロシアの物語に、感情がこもり、より大きな論理に基づいたナラティブで対抗したように。
ここで彼女がウクライナ人のナラティブとして例にあげたのが、ゼレンスキー大統領でした。彼が側近たちとキーウ中心部で自撮りした動画で「私はここにいる。国を守る」と語り、ロシア側からの「逃げた」という情報に対抗するためにソーシャルメディアに投稿されたこの動画は、テレビカメラも使わず、スマホで普段着のままで撮影されていたからこそ、「オーセンティック(真実性がある)」なものだったとアップルバウム氏と語りました。
確かにあの動画とそれに続くTシャツ姿で語りかけるゼレンスキー大統領の一連の動画は、ウクライナ国内の抵抗の物語と、国際世論の形成に大きな力となりました。それは、個々のファクトチェックでは持ち得ない、ロシアのナラティブに対抗する大きな力なのではないか、というのがアップルバウム氏の指摘でした。
ファクトチェックの限界を補うナラティブ
アップルバウム氏の指摘は、ファクトチェッカーの多くが気づいているものです。
ファクトチェックは世の中に拡散している情報に関して、その真偽を検証する活動であり、ある情報が正しいのか、間違っているのか、不正確なのか、ミスリーディングなのかを、客観的な証拠に基づいて判定します。
しかし、「みなさんもすでにご存知のように」とアップルバウム氏が説明したとおり、実際には検証によって間違いだと指摘された情報を信じている人たちからは、ファクトチェッカーは敵側の人間とみなされ、怒りの対象となりがちです。
誰からも否定されないままに間違った情報が拡散し続けるのを防ぐためにも、まだその情報を信じていない人への予防策としても、ファクトチェックは間違いなく有効です。一方で、すでに真実とは異なるナラティブを信じている人に対しては、個別のファクトチェックは有効ではない。そのときにどうするのか。
アップルバウム氏が提案した「対抗するナラティブ」は、ファクトチェック活動の定義を超えるものです。ファクトチェッカーがナラティブの形成にまで踏み込めば、ますます「敵側の人間」とみなされる危険性もあります。
アップルバウム氏の指摘は、誤情報・偽情報への対抗策としてのファクトチェックそのものの限界の指摘であり、ファクトチェックとは別に取り組まれるべきことなのかもしれません。
アップルバウム氏が最後に触れたのはコラボレーションの重要性でした。彼女は会場に集ったファクトチェッカーたちにこう言いました。
このテーマに関心を持つ人々が世界中から集まり、互いに協力し、それぞれの知見や手法を共有する。こんなことは以前にはありませんでした。
この言葉の通り、Global Fact自体がコラボレーションの実例です。そして、より具体的な組織間の連携も始まっています。
報道機関から専門家グループまで140組織がコラボ
Global Factはアワードも実施しており、今年、「最も革新的で影響力があるコラボレーション」として受賞したのは、フィリピンの#FactsFirstPHでした。この活動は140の報道機関、民間団体、企業、弁護士グループ、研究機関などが協力して、主に大統領選挙に関するファクトチェックに取り組んだものです。
報道機関が専門家たちと協力し、かつ、それぞれの報道機関も事実の検証やその拡散で協力。2022年2月から4月末までの3か月間で、878のファクトチェック記事、48の動画、19の研究成果を発表したことなどが評価されました。活動の中核となったフィリピンメディアのラップラー(Rappler)によると、これらのコンテンツはFacebook上で計600万を超えるリアクションを獲得したそうです。
この活動を紹介したラプラーのデジタル戦略担当ジェマ・メンドーサ(Gemma Mendoza)氏は、
ファクトチェック機関はフィリピンにおいて攻撃を受けてきました。来る選挙に向けて、ファクトチェックの影響力を増すためにどうしたらよいか考えてきました
と、ネットワークが生まれた背景を紹介。競争が激しく、コラボレーションの文化がなかった報道業界も、ファクトチェックの必要性という点で協力することができたと言います。
フィリピンでも、日本でも、報道業界は世界中で長年、スクープ争いや速報競争に明け暮れてきました。しかし、ファクトチェックの分野では、組織を超えた協力は珍しいものではなくなっています。
新型コロナウイルスに関しては、グローバル・ファクトの主催団体でもある国際ファクトチェッキングネットワーク(IFCN)が音頭を取り、世界中のファクトチェック機関がファクトチェック記事をデータベース化、ロシアのウクライナ侵攻に際しても、このネットワークを活かして、すぐに協力体制が生まれました。
各国ごとでも、フランスやインドネシアなど選挙において複数のファクトチェック機関が協力する事例が増えています。専門家グループなどとも協力をする#FactsFirstPHのモデルは、今後、世界中で増えていくでしょう。
ファクトチェックの自動化へ 加速するテクノロジーの進化
最後に紹介したいのがテクノロジーです。Global Factでは、実務家や研究者たちが惜しみなく知見を共有します。その中にはテクノロジーを活用したデータ分析や可視化、新しいツールを活用したオンライン調査報道のような実践的な講座もあります。
中でも注目を集めたのは「ファクトチェックの自動化はどこへ向かうのか」のパネルディスカッションでした。大量に拡散する誤情報や偽情報にスピーディに対抗するには、自動化が不可欠だからです。
嘘をつくのは一瞬でできますが、それが「嘘である」と証拠付きで検証をするには時間がかかります。誤情報や偽情報で金銭的な利益を得たり、政治的に有利な立場に立ったり、またはたんに面白がりたい人は尽きません。人間の手によるファクトチェックだけでは、到底足りるわけもなく、ファクトチェック機関が増えても劣勢な根本原因になっています。
ファクトチェックの自動化には、いくつかの種類があります。検証対象となる情報を自動的に見つけるものや、対象を見つけるだけでなく自動で検証するものなどです。パネルではそれらの先端事例が紹介されました。
例えば、米国のデューク大(Duke University)のSquashプロジェクトは、過去のファクトチェック記事のデータベースを参照することで政治家の発言をリアルタイムに検証するシステムを開発。イギリスのファクトチェック団体「Full Fact」は、リアルタイムで検証対象となる言説を検出・分類し、既存のファクトチェックと照合し、統計的な主張については関連する数字データを表示する3段階の自動化ツールを運用しています。
スペインのファクトチェック団体「Newtral」からは自分たちで開発したClaim Hunterというツールの紹介がありました。政治家の発言を文字起こしし、検証対象となる主張を抜き出すことが可能で、60分間の演説を書き起こし、検証対象の発言を抽出するのに数秒しかかからないため、作業時間が90%短くなったそうです。
いずれもファクトチェッカーの仕事を簡略化するツールですが、登壇者たちは実際にはまだまだ課題があるとも説明しました。
例えば、参照先となるデータベースに入れるファクトチェック事例がまだまだ足りていないこと。大統領や首相クラスであれば、ある程度の数があっても、国会議員全体となると、全然足りない。また、開発資金の不足も指摘されました。
それでも技術進化は加速しており、音声の書き起こしなどの精度は高まり、対応する言語も増えていることから、実用化し、普及するツールは増えていくだろうという楽観的な見通しが語られていました。
5年前と変わっていない日本での課題
広がるコラボレーションや進化するテクノロジーは、劣勢のファクトチェックに関して、希望を抱かせるものです。ただし、日本の現状を見ると、それよりも手前の段階で止まっていると言わざるを得ません。
日本では、私も理事を務めている認定NPO法人「ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)」が2017年に設立され、ファクトチェックを普及するための技術的なサポートや情報共有を進めてきました。しかし、ファクトチェック記事を日常的に発信するメディアは、ごく一部に限られます。
IFCNはファクトチェックに関する原則を公表し、原則を遵守する団体を加盟団体としてリスト化しています。2022年8月現在、102の加盟団体が活動中ですが、日本の団体は一つもありません(FIJは、ファクトチェック団体を支援したりネットワークする団体で、ファクトチェック団体そのものではない)。東アジアからも韓国や台湾、香港の団体などが加盟しているのと対照的な状態です。
まずはファクトチェックをする団体が増えなければ、コラボレーションの規模も小さいものに留まりますし、ファクトチェック記事が増えなければデータベースの充実化、ツールの開発や研究にも支障を来します。
「ナラティブが重要である」というファクトチェックの最新課題への対応はその通りですが、日本はその前に、まずはファクトチェックを増やすことから始める必要があります。
※Global Fact 9には、「ファクトチェック・システムの構築」をテーマとする科研費研究グループの海外調査として参加しました。
著者紹介
古田大輔(ふるた だいすけ):
ジャーナリスト/メディアコラボ代表
1977年福岡県出身。早稲田大政経学部卒。2002年より朝日新聞で、アジア総局、シンガポール支局長などを経てデジタル版編集を担当。2015年にBuzzFeed Japan創刊編集長に就任。ニュースからエンターテイメントまで、記事・動画・ソーシャルメディアなどを組み合わせて急成長をけん引。2019年6月に株式会社メディアコラボを設立、代表取締役に就任。2020-2022年、Google News Labティーチングフェロー。その他の主な役職として、デジタル・ジャーナリスト育成機構(D-JEDI)事務局長、ファクトチェック・イニシアティブ理事、早稲田大院政治学研究科非常勤講師など。