Media × Tech

「Media × Tech」ブログはスマートニュースのメディア担当チームが運営するブログです。テクノロジーを活用した次世代のメディアとはどういうものか? そうしたメディアをどうやって創り出していくのか、を考えていきます。

「リレーショナルなメディア」への回帰——どこに何を投稿するのが最適なのか?

 

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ブログサービスから各種ソーシャルメディアまでと、いま表現者が選択できる「投稿先」は多種多様を極めている。さらにその先には多くの外部配信プラットホームも控えている。では、そのどれを選択するべきなのか。自分の読者・視聴者には、どのプラットホームを通じて出会えるのだろうか。むしろ悩みもまた深まっていると言える。
表現者と読者・視聴者との出会いの最適化はどのようになされるべきだろうか。この課題について思考をめぐらすブロガー堀 正岳氏が論じる。(Media×Tech編集部)

「どこに何を投稿するのが最適なのか?」

いまYouTubeをやるのが「正解」なのか? それとも SNSに集中するのが「正解」なのか? noteは? ブログやメルマガは?

メディアを運営している人ならばもちろん、ネットで自分の発信を多くの人に届けたいと思っている個人のかたでも、この疑問に頭を悩ませているひとは多いはずです。

たとえばあなたが新しいオウンドメディアを立ち上げようとしているとしているのであれば、独自ドメインや会社ドメインでブログを立ち上げるのが最適なのか、それともYouTubeチャンネルを開設してそこから自社サイトへの誘導をすべきなのか悩んでいるかもしれません。その場合、SNSの投稿はどうするべきなのか、独自のサイトではなくnoteといったプラットホームを使うべきなのかといった戦略のとり方は気になるところでしょう。

個人の場合でも、ひと昔前ならばブログで注目される記事を書くことが一つの「登竜門」でしたが、それがいまではSNSで目立つことであったり、YouTubeチャンネルで登録者数を増やすことであったりといったように、門戸が多様になっています。しかもそれぞれの門で扱うメディアの性質が違うため、とるべき戦略は複雑になる一方です。

これはコンテンツをテキストで書くべきか、それとも音声・動画メディアといった形にするかといった媒体の選択だけでなく、ブログのようなパーマリンクをもっているウェブサイトにコンテンツを投稿するべきか、それともリアルタイムに消費されるSNSやライブ中継に注力するべきなのかといった、投稿先の悩みでもあります。

メディアが多様化し、スマートフォンが高機能化してどこでも誰でもコンテンツを生み出せるようになった結果、この「どこに何を投稿するべきか」という問題が新しい悩みとしてメディア運営者につきまとうようになったといえます。

背後にあるのは、処理しきれない情報の奔流

こうした悩みが生まれる背景として、情報の供給の過大さがあります。

以前なら興味のある情報を追うのには関連したウェブサイトやブログをRSSリーダーに登録し、一日に一回程度、上から下まで新着記事に目を通せば十分でした。しかし今ではRSSリーダーだけではとても追いきれない量の情報が錯綜していますし、情報が最初に投稿されて注目を集める場所もツイッター、YouTube、TikTokなどと多様化しています。

このことは、読者・視聴者の側にさきほどの問題を鏡写しにした「どこで何をみるべきか」という問題を生み出しているのです。

気に入ったブログやウェブメディアを丹念に追っていればよかった時代は終わり、今では自分が最も興味をもっている情報がいつどこからやってくるのか予想がたちません。

情報の流れは速いですし、あるものはテキストで、あるものは動画や音声で、しかもツイッターのように無関係な情報のノイズの海の中から火花のように一瞬垣間見えた投稿を拾ってゆかなければならないとなると、ほとんどの人には無理な芸当です。

結果として、多くの人は誰をフォローしているかによって若干の情報の傾向を生み出しつつも、実際のところはリツイートされて「バズっている」投稿か、プラットホームがアルゴリズムによってタイムラインに浮上させる情報を偶然に発見するのに身を任せているといっていいでしょう。

誰もが自分の生み出すコンテンツを読んでもらいたいと思っている世界で、私たちは皮肉にも偶然に近い形でしか自分を発見してもらえない罠に捕らえられています。そして「目立てばいいのだろう」と強い言葉で読者や視聴者を煽った結果、禍根を残し炎上してしまうケースもしばしばです。

こうした状況を打破できる可能性はあるのでしょうか?

リレーショナルなメディアから、トランザクションのメディアへ

この根本的な問題について考えていたところ、英語圏でデファクトスタンダードの投稿プラットホームであるMediumにおいて、ヒントになりそうな面白いアップデートが最近進行していることに気づきました。

Mediumにおけるコンテンツの表示方法はもともとブログ的であり、ツイッターやFacebookでも当たり前のものとして私たちが受け入れている逆時系列順(reverse-chronological order)のタイムラインです。それがここ最近のアップデートで大きく変わりました。

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図 Mediumトップ画面からの誘導構成がトピック型に

まず、トップページの様子はもはやタイムラインの形をとっていません。私がフォローしているアカウントに基づいて、いま私がもっとも興味をもっていそうな記事が自動的に選別されている欄がまず最初に目に入ります。しかも、記事は新しいものとは限りません。昨日投稿された記事と並んで、先週や半年前の記事ですら表示されています。

それに続いて、私がフォローしているアカウントの更新記事や、Medium内でトレンド入りしている記事の中からやはり私の興味に合致しているものが順位付けされて表示されています。注目したいのは、Medium全体でバズっている記事ではなく、あくまで私のインタレストグラフ(私が明示的に指定したり、クリックした記事から推測される興味の傾向)に基づいた最適化が行われているのです。

 

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図 Mediumではより洗練された「パブリケーション」の提供を試行

これと同時に、Mediumにおける投稿方法についても整理が行われています。長文の記事を掲載するための雑誌のような形式である「パブリケーション」はより洗練され、見た目をカスタマイズできる機能がベータ版で提供されています。さらに、ツイッターのつぶやきやFacebookの投稿といった短文の「ショートフォーム投稿」も、Mediumから直接読者に向けてメルマガを発行できる「ニュースレター機能」も追加されました。

これらの一連のアップデートについて、Mediumの創業者であるEvan Williams氏(通称 Ev)が興味深い哲学的な考察を明かしています。

ネットはメディアの消費方法をリレーショナル(関係的)なものから、トランザクショナル(処理的)なものへと変化させてきた。たとえばあなたが新聞や雑誌を読むとしよう。もちろんすべての記事を読まなくても、その新聞や雑誌に掲載されていたからこそ読んだものはいくつかあるだろう。あなたが読むものは、それがどこからきたのかに深く影響されているのだ。あなたはパブリケーションをまず選択し、その関係性によって、そこに寄稿しているライターや記事を間接的に選択したことになる。これがリレーショナルなメディアだ。

例えば、読者がすでにメディアとして信頼を置いているウェブサイトや雑誌などを読むとき、読者は掲載されている記事やライターを能動的に選択したわけではありません。メディアを選択した結果としてそうしたコンテンツに出会うという意味において、氏はこれを「メディアとの関係性における(リレーショナル)消費」と呼んでいます。私たちがブログやYouTubeチャンネルのファンになるのも、似たケースといっていいでしょう。

しかし、私たちの情報との付き合い方はファンになっているブログやホームページを追うようなリレーショナルな形だけではありません。むしろ最近は、読者の過去の閲覧傾向や嗜好にしたがい、アルゴリズムによって最適化されたコンテンツばかりが表示されるような、ひたすら消費(処理)をうながす形の表示方法のほうが主になりつつあります。Williams氏はこれを「トランザクショナルな消費」と命名して、警鐘を投げかけています。

例えば最近だと、ウェブの記事よりもストリーミングされているTV番組のほうがリレーショナルな性格を持っている。わたしたちは以前に比べて少ないTVショーしか見ていないが、そのかわりにすべてのエピソードを見ているか、まったく見ていないかのどちらかになっている。ウェブにおけるテキスト記事は逆方向に進んだといっていい。私たちはこの媒体でこの記事を、あの媒体であの記事をといった具合に散発的に読んでいる。テレビがよりリレーショナルになった反面、私たちの記事の読み方はトランザクショナルな方向に変化してしまったのだ。

トランザクショナルなコンテンツとの出会い方においては、読者はメディアがもっている文脈や関連した情報への興味を満たす方向での充足の機会を剥奪されてしまいます。読者はより「刺さる」記事のタイトルや、サムネイル画像に反応して刹那的にクリックするだけとなり、より深いメディアと関係性を体験する前に次から次へとアルゴリズムが選んだコンテンツを押し付けられるようになるのです。

TVショーが番組を選んでその「推し」になるような視聴の仕方になったのに対して、文字媒体はバズっているツイートからウェブ記事に至るまで、Google検索やリツイートやアルゴリズムによって偶然発見する方向へとシフトしたとWilliams氏は指摘しています。

これは先ほどの「どこに何を書くのか問題」と直結しているといえます。個々の記事がアルゴリズムに発見されてPVを稼ぐために書かれるようになれば、当然の帰結としてその記事が掲載されているメディアのもっているコンテンツを束ねる力は弱まってしまい、どこにどんなコンテンツを生み出してもアルゴリズムの壁に阻まれているような閉塞感が生まれます。

Williams氏はこのような状況がいつまでも続かないと予想しています。そしてMediumの最近のアップデートは、テキストメディアがやがてトランザクショナルな方向性からもう一度リレーショナルな方向へと回帰するだろうことを予想して先手を打っているものだというのです。

メディアはめぐる。偶然から関係性へと

旧約聖書の「コヘレトの言葉」には、「天の下に新しいものはない」という有名な一節があります。

かつてあったことはこれからもあり、かつて起こったことはこれからも起こる。天の下に新しいものはない

これは、私が15年以上ブログを運営してきたなかでも肌で感じてきたことです。

ブログが誕生し、急速にさまざまな情報発信ができるようになったときに見られた動きが、その数年後にツイッターが生まれたときに繰り返され、さらにはTikTokなどといったメディアが生まれたときにも繰り返されてきました。

少しずつ技術が新しくなり、投稿先もブログからプラットホームからアプリに変わっていくものの、似たような盛り上がりが繰り返しやってくるのです。ですから、Williams氏がトランザクション的なメディアは、やがてリレーショナルなメディアに回帰すると予言するとき、そこには理屈を越えた説得力を感じます。

そうした回帰を受け止めるために、Mediumではもう一つのアップデートが進行中です。それは、写真家が自分の作品のポートフォリオを掲載するのと同じように、Mediumの書き手が自分の代表作をわかりやすく列挙して、やってきた読者にフォローをする動機づけを与えるための仕組みです。

Mediumにおけるプロフィール部分を増強することで「この人物だから読む」「この人物が参加しているパブリケーションだから読む」といった関係性(リレーショナル)のなかでのコンテンツ消費を促すのが目的といっていいでしょう。

このアップデートは、先ほどのトップページの改修と同時におこなって初めて効果を発揮します。ある書き手が面白そうなのでフォローすると、そのフォローによってトップページでレコメンドされる記事が変わります。レコメンドされた記事のうち、どの記事を実際にクリックして読んだかによって、次のレコメンドが決定していきます。こうして繰り返しわたしの興味を軸とした学習が強化された結果、わたしはMediumをそこにいる書き手やパブリケーションとの関係(リレーション)のなかで消費するようになっていきます。

こうして、私たち読者は書き手と興味の関係性の中に踏み込んでゆくようになります。記事のレコメンドに利用されるアルゴリズムが洗練されてゆくにしたがって、私たちは偶然なにかの記事を読んでいるように見えますが、実際には自分たちのクリックや記事の消費の仕方によって選択をおこなっているのです。

トランザクショナルな消費のされ方からリレーション的な情報の消費への回帰とは、いまはまだバズっている記事をおすすめするだけのアルゴリズムが、より個人個人の嗜好に強く最適化される未来を見越した考え方なのです。

リレーショナルなメディアは、小さなコミュニティを生み出す

Mediumのアップデートは、いまウェブのさまざまな場所でみられる小さな変化のわかりやすい一例といっていいでしょう。

たとえばツイッターはここ最近「トピック」の機能を少しずつ拡充して、「スポーツ」「将棋」「天文学」といったテーマをフォローできるようになっています。もちろんそれらのトピックをフォローした場合、その話題の一角においてフォローすべきユーザーがおすすめされ、小さなコミュニティが可視化されるようになっています。

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図 Twitterでも「リレーショナル」なトピックスを重視

 逆時系列的ではない情報の表示のされかたもしだいに増えています。エンジニアやプログラマーのための投稿サイトとして話題になった Zenn も、トップページは「いまトレンドになっている記事」と、「指定したトピックで重要な記事」を中心に構成されていて、その順序はかならずしも時間順にはなっていません。

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図 エンジニアやプログラマーに人気の投稿サイトZennでもトピック指向

「どこに何を投稿するべきか」問題は、もともとどのタイミングでどのプラットホームに投稿すれば最もバズるのか? 最も発見してもらいやすくなるのか? という露出の問題でした。

しかしコンテンツがアルゴリズムによって整理され、「この人はこの話題を好んでいる」といった関係性を重視した形で表示されるようになるならば、この問題は「私はどのコミュニティに向けて書くのか」という問題に置き換えることができます。

とにかく大きなバズを生み出さないと目的としている読者層にコンテンツを届けられない状況は緩和され、むしろアルゴリズムが興味のある人にむけて記事を届けやすくするように、最適化する書き方が重要になってくるはずです。

アルゴリズムによってコンテンツが繰り返し今週も、来月も、半年後でも掘り起こされるようになるなら、作り手はそれを意識して息長く消費してもらえるような書き方や言葉遣いに注意する必要が生じます。

これはテキストメディアだけではなく、動画メディアや音声メディアでも言えます。たとえばこれまで内容を検索するのが難しいためにバズのなかで消費されることが前提になっていた動画や音声メディアも、最近では音声認識によって内容が検索可能になってきたために、よりアルゴリズムによって視聴者に最適化されて表示されるようになっています。それにともなって、コンテンツの内容も息が長く消費されるのを意識して作られるものが増えてきました。

Williams氏のいうトランザクション的なコンテンツの消費からリレーショナルな出会いへの回帰はすでにウェブのさまざまな場所で進行中といっていいのです。

その先にあるのは、リアルタイムで偶然バズれば成功したり、有名人だけがより強い影響力を行使できたりするコンテンツの戦場ではなく、自分と興味が近い人間との小さなコミュニティを無数に意識することができる世界です。

当面は、より素早いメディアであるツイッターのようなSNSや動画メディアと、より時間がゆっくり流れるnoteのようなメディアを組み合わせて自分のコミュニティを探す試みが進行するはずです。

そのなかで、自分の投稿を自分の属する小さなコミュニティに効率的に接続してくれるリレーショナルなコンテンツプラットホームが今後成長することが期待されます。そしてコンテンツの作り方をゆるやかに即時的な消費から時間をかけて発見されてもよいものへの適応が求められるようになるはずです。

トランザクションからリレーショナルなコンテンツへの回帰というキーワードのなかには、「どこに何を投稿すべきなのか」問題への答えとしての「誰とコニュニティを形成するのか」という未来への扉が隠れているのです。

著者紹介

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堀 正岳(ほりまさたけ)
研究者・ブロガー。北極における気候変動を研究するかたわら、ライフハック・IT・文具などをテーマとしたブログ「Lifehacking.jp」を運営。「ライフハック大全」「知的生活の設計」「リストの魔法」(KADOWAKA)など、知的生産、仕事術、ソーシャルメディアなどについて著書多数。

Twitter
https://twitter.com/mehori
ブログURL
https://lifehacking.jp

本記事は筆者と編集部の独自の取材に基づく内容です。スマートニュースの公式見解ではありません。